久々に

これを書いているのは2020年1月で、僕は来年から博士課程2年生になる。

 

2019年は忘れられない年になった。

 

前の記事で、僕は好きな人のことについて言及していたが、何と現在その人と特別な関係になっているのだ。

自分でも信じられないし、奇跡的だと思う。

多くのことはここに記さないが、素直になるのが一番だし、後悔もないのだということを改めて認識させられたように思える。もちろん、人の迷惑にならないとか、怖がらせないとかは気をつけなくてはいけないが。

 

研究の方はどうかというと、2019年は3回学会発表をした。国際学会にも初めて行った。

でも好きな人のことを四六時中考えていたし、使い物にならない日も多かった。あとは、別の学問の本を読んだりすることに随分時間を費やしてしまった。

 

僕はコンピュータシミュレーションを研究手法として、ざっくりいうと理論物理の研究をしているのだが、頭が悪すぎるし興味も移ろいがちなので、純粋な科学の研究は向いてないなということをいよいよ認めざるを得なくなった。使っているコードが難しすぎて嫌になってきているというのもある。

4年生で研究を始めて、院から研究分野を変更し今に至るが、これまでに何度別の研究をすればよかったと思ったことか。実験するのがいいとか、記憶に関する研究がしたいとか、教育学がいいとか、心理学がいいとか、哲学がいいとか、社会学がいいとか、もう多岐にわたりすぎて収拾がつかない。どの分野に行ったところで僕は必ず飽きて他のことをしたくなってしまう。これはもう性分なのだと思う。

今の研究は嫌いではない。でも辛く思うことが多くなってきて、毎晩お酒を飲んでいるし、朝は起きられなくてどんどん夜型になっている。最低限のこと、セミナーとか輪講とか計算とかはやっていて、一日6時間以上作業をしているけど、知的な喜びとかがあまりない。これで博士課程を修了できる気が全くしない。

かといって、就職しても後悔すると思う。選べる立場ではないのはわかっているが、仕事についたらついたで、今度は研究室を想起して激しく焦がれるだろうと予想できる。

僕はどうしたらいいのだろう。

唯一の救いは、春の学会のプログラムを見たら、面白そうなものがいっぱいあって、研究テーマをもし変える場合にアイデア出しの助けになってくれそうだということだ。これまでは純粋な科学の探求をしてきたけど、学際的な研究もやってみたいなと今は思っている。

とにかく、今は興味のある学問について知識を蓄えよう。それがこれからの僕を助けてくれると信じよう。

 

好きな人に会う

相変わらず修論に追われていて眠れていない。

この日は、遊びではなく、用事があって出かけた。

とても寒い日だった。

少しの時間ではあるが、僕の好きな人に会うことができた。

態度に出しては支障があるので、僕はつとめて無表情を心がけた。いつもそうしているので、気づかれてはいないだろうと思う。もし感づかれたら、避けられたりもう会うことができないようになるかもしれないと考えると怖くなる。それよりは、公的な距離を保ったまま、たまに会えるほうが良いと思っている。

好きな人は風邪を引いていた。風邪を引いて具合が悪そうでも素敵だなと思った。


この日はずっと幸福感が続いていて、あまり作業がはかどらなかった。

修論の提出が迫っている。


知人に会う

この時すでに博士の試験は終わっていて、結果待ちだった。

試験はどうだったのかというと、疲労と準備不足でボロボロだった。先に結果を言っておくと受かったのだが、この時は当然まだそれは知らなかったので毎日不安だった。修士の院試の時は、結果が出るまでひと月近くかかったので、この不安な気分が約一ヶ月続いたのだった。それに比べればまだましだと思ったが、やはり結果を待つ日々というのは辛かった。

しかし、ただまんじりともせず結果を待っていたのではなく、2月の中頃が修論の提出期限だったのでひたすら追加の計算をしつつ執筆をしていたので、少しは気が紛れていたのかもしれない。というかそれどころではなかったというのが正直なところではある。


ところで、以前住んでいた場所でお世話になった人から、僕の住む街に仕事の休みを利用して遊びに来たいという連絡があった。いきなり連絡が来たわけではなく、前の月に打診があった。

本音を言うと、修論提出後にしてほしいなと思ったのだが、相手も事情があるのだし、なんとか時間をやりくりして一日会う日を作った。

その人は同性で、会う場所や時期が違えばめちゃくちゃ苦手だっただろうなという感じがするのだが、不思議なことに気が合って、色々なことを分かち合うことができた人だった。久々に会って、やはり良い人だなと思った。その人は、去年あたりから仕事を変え、ブラック企業から抜け出すことができたようだった。しかし今の仕事も大変なことはあるようだった。


結局夜遅くに帰ってきた。楽しかったが、今日一日出かけていたことで失われた作業時間のことを思うと気が重くなった。こういうことを考えてしまう自分も嫌になった。

相変わらず満足に眠ることができていないので、とても疲れていて神経過敏になっている。ちょっとした音にびくっとしてしまう。


早くぐっすりと泥のように眠りたかった。


発表会

年が明けてから、発表会まではあっという間に過ぎ去ったように思えた。

毎日作業に追われて3時間くらいしか眠ることができず、常に眠くて頭の中に霞がかかっているようで、でも何とか起きて研究室に通った。

僕の大学は駅から離れたところにあって、バスで通っているのだが、この時期はバスの中で本気で熟睡していた。

とにかく眠りたかった。でもそれ以上に、まともな発表をしたいと思っていた。


それは何故かというと、まあ当たり前にカスカスボロボロの糞みたいな発表をしたくないというのもあるのだけど、

僕は、この年に開催される大きな学会で、口頭で発表をしようと考えていて、それを指導教員に言ったら、修士研究の発表次第だねと言われたからだった。

内容ももちろんなのだけど、発表の仕方とか話のまとめ方もチェックされるはずで、だから僕は彼のオーケーが何とかもらえるような人物であるということを大衆の前で示さなくてはならなかった。


この数ヶ月、僕の指導教員は週一で進捗を確認してくれて、厳しくも的確なアドバイスもしてくれた。恥ずかしい話だが、これがなければ研究がまとまらなかっただろうと思う。


そういうわけで、指導教員や先輩の助けを借りながらスライドを完成させ、原稿をきっちり作って何度も練習をして、その結果とりあえずはひどくなりすぎない程度に発表を終えた。


反省すべき点はたくさんあったが、次にやることがどんどん迫ってきていた。博士の試験、そして修論提出だ。


まだまだゆっくり眠れそうになかった。この頃は目の下が本当に真っ黒だった。


自宅に戻る

1/4に下宿先に戻った。


去年のこの時期は、たぶん飛行機の中でインフルエンザA型に感染し、ごく控えめに言って地獄を見た。今年はそんなことになったらジ・エンドなので既に予防接種をしていたのて安心して帰ることができた。


修士研究の発表会は月末に迫っていた。スライドは第2稿目くらいの段階だった。

どう考えても、結果を出すための時間が足りなかった。だけどとにかく今できることをやるしかなかった。

計算がうまくいかない

年度末から年明けにかけてひたすら計算をする。遠隔で。

しかしパラメータの設定ミスで計算が発散しまくる。もうダメなのではないかと思う。

12/31は、それでも少しだらだらとしてしまった。お酒を飲んで料理を楽しみ、普段見れないテレビを見たりした(僕の下宿にはテレビがないのだ)。僕には姉がいるのだが、この日は姉の機嫌がすこぶるよくなく、誰も悪くないのに嫌な空気になった。思えば昔からそうだった。ちょっとしたことで彼女はすぐ機嫌が悪くなって、外面がいいぶん家族に当たり散らすのだ。夜寝る時、子供の頃の萎縮しがちだった自分のことを思って悲しくなって少し泣いてしまった。最近は精神的に弱っていて、人前では泣かないが1人になるとちょっとしたことで涙が出てくる。

あまり良くない傾向だった。

帰省

今年は、修論があるので帰省しないつもりだった。

でも、10月くらいに、僕の母がちょっとしたことで入院して、遠く離れていることもあって会える時は会っておきたいと思った。

毎年のことだけど、わざわざ飛行機のチケットも買って送ってくれた。年末の飛行機代は目が飛び出るほど高い。自分で買うのだとしたら、僕はきっと帰省しないだろう。親もそれをわかっているのだと思う。そういうことを考えると自己嫌悪に襲われる。

11月くらいまでは、修論は早めに提出できるのではないかとさえ思っていた。何しろほぼ毎日研究室に通いつめ、地道に研究をしていたのだ。だが、先日の日記で書いた通り、研究の見通しが一気に悪くなり、というか何も見通せなくなった。

一時は、帰省するのをやめようかと思った。その一歩手前まで行った。でも、親の顔を頭に思い浮かべると、それは出来なかった。

 

僕はスパコンを使って計算をしている。修論が何とかなるかどうかは、計算のやり直しがいかにはやく終わるかにかかっていた。

それまでは、大学のパソコンからスパコンSSH接続をして計算をしていた。それを、自分のノートパソコンからもできるように1日かけて設定した。クラウドに必要なデータとか書きかけのコードを送り、重たいデータはなけなしのお金をはたいて買った258ギガのUSBに入れた。

そうして、自分なりに入念に支度をして帰省した。

 

この時点では、ちゃんと修士研究発表ならびに修論提出が無事できるかどうかまったく分からなかった。この時は悪夢ばかり見ていた気がする。